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最弱チームが大阪制覇を夢見るまでに成長できたわけ。

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関西大学第一中学校のお受験を経て集まった、関大一中サッカー部イレブン。小学校時代は、みんなお勉強に必死だったので、最弱集団だったと思います。でも、卒部間際の最後の全国大会の予選のリーグで、僕らは2勝1分で2位でした。得失点差で1位を譲ってしまったのですが、1位だった中学校は大阪大会で優勝し、全国大会に出場しました。

いまでも、当時を振り返り、よく言う語り草はこうです。”得失点差のルールさえなければ、◯◯中学と同様、僕らは大阪制覇を成し遂げていた。僕らは負けていない、大阪一番のチームだった。”と。(笑

最弱チームから、大阪制覇の夢を見ることができるチームへ生まれ変われたのは、どんな要因が大きかったのか? 僕はこんな感じで思ってます。

◯他チームを圧倒したスタミナ

特に関大一中サッカー部の当時の練習で思い出すのは、走りこみです。長距離、中距離、短距離、インターバル、あらゆる走りこみを毎日行っていました。その影響で、実家の千里山から武庫川でサッカーする為に走っていったこともありました。テクニックに勝る他のチームに打ち勝つ為に、絶対的に圧倒できるポイントを作ってくれました。それはスタミナ。関大一中サッカー部は、テクニックもないし、体も小さいけど、スタミナだけは大阪で一番のチームだったとおもいます。余談ですが、僕はチームの主将を務めさせていただいておりましたが、スタミナはチームの真ん中くらいでした。いつもヒイヒイ言うてました。

◯サッカー好き

会社経営に近い観点でいうと、経営理念を理解しているとか、ベクトルがあっているとかいう言葉になるかもしれませんが、みんなサッカーが好きでした。ただただサッカー好きなチームだったとおもいます。なんだかんだ言って、しんどい練習とかの愚痴の一つや2つはこぼしますが、常にサッカーのことを話していました。学校が休みの日も、ゲームセンターでバーチャルサッカーというゲームに夢中になっていました。何人か補導されたり、カツアゲにあったりもしましたけど。そもそもサッカー後ろ向きな奴がいなかったのがチームを結束させたと思います。

◯指導者

菊田先生は最高の指導者だったと思います。高校に入ると、サッカーでなくアメフトや他の競技に転向する選手も多くいます。上手い下手はありますが、確実にチームになくてはならない存在になっていたとおもいます。特にアメフト部は今も脈々と活躍している選手を輩出しています。

◯部活動に専念できる環境

あいにく大きなグラウンドには恵まれてはいませんでしたが、それ以外の環境には恵まれていました。特に関大一中は高校受験をしなくていい。というのが大きいと思います。勉強そっちのけで、スポーツに打ち込むことができる。これは私学の中高一貫教育の最大の特徴だと思います。そんな環境で勉強や部活動をさせてくれた両親に感謝しないといけないと思います。

 

結局、指導者に恵まれ、両親に恵まれ、友達に恵まれた。って事ですね。その上でチームみんなで努力できたのが大きかったのかと。そういう当時の、環境とか仲間とか思い出させてくれる物としてスポーツアルバムは一流の記念品だと思います。

 

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はい今日の写真展は、あの日本のマチュピチュといわれる

関西の名観光スポット?竹田城にいった時の写真です。

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ここから長い旅路がはじまります(笑  頂上にある竹田城跡まで、徒歩20分くらいかな?

竹田城入り口

彼らが、近所に住んでいた、いさとくん夫婦です。

竹田城のいさとくん

鷹とかがいそうな、大木がありました。

竹田城の木

人から学ぶ、本から学ぶ、旅から学ぶ、スポーツから学ぶ。